31 小市慰霊碑・湯地定堅・梶原平馬の墓
番号 | 名称 | 現在の建物 | 現在地 | 設置年度 |
31 | 小市慰霊碑・湯地定堅・梶原平馬の墓 | 西浜墓地内 | 西浜墓地内 | 平成5年度 |
概要
1. 小市(こいち)は、江戸時代にロシアへ漂流し日本に帰ってきた伊勢白子(三重県鈴鹿市)の人である。
1792年にロシア最初の遣日使節アダム・ラクスマン一行が根室に来航した時に、大黒屋光太夫と磯吉とともに根室に着いたが、無念にも翌年春、根室で病死した。
200年後に彼を偲んでこの慰霊碑が建立された。
2. 湯地定堅(ゆちさだかた)は、明治15~19年に根室県令を務めた湯地定基の五男である。定堅は生後4カ月で他界した。この墓碑は六角形で神奈川県の小松石である。
遺骨は、昭和32年に定基の孫定徳が故郷に持ち帰り、この墓石だけが根室に残され、平成5年ここに移された。
3. 梶原平馬(かじわらへいま)は会津藩最後の家老であって、彼は戊辰戦争や会津藩の再興に尽力した人であった。明治時代の行動は不明であったが、昭和63年この墓が発見され、明治22年に根室で死亡していたことがわかった。妻、水野貞(てい)が私立根室女子小学校校長であり、花咲小学校の先生であったことは知られている。
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更新日:2019年11月08日