「私と家族の架け橋が」 柏陵中学校 2年 中川 結愛 さん
私と家族の架け橋が
柏陵中学校 2年 中川 結愛
私の曽祖父は、北方領土のどこかの町で郵便局員として働いていました。幼い頃、私はその事実を知るまで、北方領土という地名すらもただの地図の上の点のようにしか認識しませんでした。小学校四年生くらいまでは、あの島々は遥か遠い場所にあり、私の暮らしとは無縁の存在だと思い込んでいました。
しかし、小学校五年生の時学校で北方領土学習が始まり、その出来事を家族に話していたら、私の祖父が曽祖父は北方領土で郵便局員だったことを話してくれました。そして私の中の北方領土に対する認識は少しずつ変わっていきました。曽祖父の仕事はただの郵便配達員でした。彼は戦争のころには働いていなかったですが、戦争の時のことはよく知っていました。朝になると郵便物江尾届、回収をしていました。曽祖父は妻が作る弁当が好きで仕事の合間に食べるあの時間が一番好きだったと言っていました。
彼はあの時はとても穏やかで楽しい毎日だったがロシア兵が来てからがらりと環境が変わったと言っていました。自分が生きてるうちに北方領土返還をしてほしいと言っていましたが亡くなってしまいました。
あの日々を想像すると、胸の奥に静かなぬくもりが広がると同時に、切なさも込み上げてきます。あの土地には、曽祖父だけでなく、何百年も前から多くの人々の想いや歴史、暮らしが刻まれています。今やロシアの支配下にある島々だが、私にとっては、家族の物語と日本の未来を紡ぐ大切な場所だと感じています。私はその場所に対して、私はいつか自分の目で確かめてみたい、という強い願いが芽生えました。そこに暮らす人々の暮らしぶりを、肌で感じてみたいです。あの島々は、私の心の奥底に、家族の絆や、日本の誇り、未来への希望といった、かけがえのない想いを宿していると思います。
北方領土は、私にとって単なる場所ではなく、過去と未来をつなぐ架け橋のような存在です。曽祖父が未来をつなぐ架け橋のような存在です。曽祖父が働いていたその時を想像するとどれだけ幸せな時だったかと羨ましくなります。私はそのような時間を求めるために北方領土の早期返還に努めたいと思いました。
私は、北方領土の問題について深く学び、自分にできることを模索したいです。未来の日本と島々との関係が、平和的に解決され、多くの人々の笑顔が戻る日が来ることを心から願います。そして、その願いを胸に、いつかはあの土地に自分の足を踏み入れ、家族の歴史と未来の希望を感じたいです。
北方領土は、もはやただの地理的な場所ではなく、私にとって、家族の絆、歴史の証人、そして未来への希望の象徴となりました。曽祖父の働いていたその土地に思いをはせながら、私はこれからも歴史と向き合い、平和への祈りを胸に、未来を切り開いていきたいと思います。
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更新日:2026年09月03日
















