4月

4月

4月1日

1965年(昭和40年)
領土対策係を新設

横田根室市長は、北方領土問題等の解決を市政推進の重点として、この問題を専門に担当する「領土対策係」を新設しました。
以来、同係は国民世論の喚起をはかるため、パンフレットなどの作成配布や啓発塔の設置など、さらには国や北海道、全国自治体はじめ北方領土関係団体と連絡提携して返還運動を盛り上げています。

4月2日

1956年(昭和31年)
安全操業全道漁民大会開催

札幌で開催された北方サケ・マス漁業操業懇請全道大会は「北洋出漁安全操業に関する要請」を決議。国や道、道議会に決議書を提出しました。

4月3日

1983年(昭和58年)
北大スラブ研の研究員が北方領土を視察

北海道大学スラブ研究センターの研究員で英国籍を持ったデービス氏が納沙布岬から、北方領土を視察しました。
哲学博士号を持ちポーランドや英国の大学で歴史学の講師を歴任、また、東欧におけるソ連との領土問題、日本の領土問題などの研究者でもある同氏は、水晶島や秋勇留島に目をこらし、水晶島の監視小屋を見て「あれはソ連の典型的な監視塔だ」と指摘。
「東欧とソ連の間にあるのと同じ領土紛争が日本にもあることは知らなかった」と話しました。

4月4日

1995年(平成7年)
国後島の水産加工場建設に韓国企業参入

国後島古釜布の大規模な水産加工場建設に韓国企業が参入することが明らかになりました。
このことは、韓国が北方四島におけるロシアの主権を間接的に認めたとも受け取られることから、この日、外務省は韓・ロ両国に対し計画中止の要請を行うことを決定しました。

4月5日

1945年(昭和20年)
ソ連から日ソ中立条約廃棄に関する覚書提出

1941年4月25日に結ばれた日ソ中立条約は、5年後(1946年4月25日)の期間満了の1年前に条約の廃棄を通告しない場合、次の5年間を自動的に延長するものとされていました。
この日、ソ連側から同盟国の米英と日本が交戦中のため条約存続は不可能として「日ソ中立条約廃棄に関する覚書」が出され、期間満了後の自動延長はなくなったため、この条約は1946年4月25日をもって、失効することとなりましたが、ソ連は1945年8月9日、当時まだ有効であった条約を無視して対日参戦しました。

4月6日

1985年(昭和60年)
落石日ソ親善友好協会が結成

北方領土返還運動の原点の地である根室市に、サケ・マス船主を中心に漁業者の団体としては市内で二つ目の日ソ友好団体『落石日ソ親善友好協会』が結成されました。

4月7日

2001年(平成13年)
森喜朗首相、北方領土を視察

森喜朗首相は昭和56年の鈴木善幸首相以来20年ぶりに空陸から北方領土を視察、納沙布岬では大勢の市民の歓迎をうけました。
その後、北海道立北方四島交流センターを視察、元島民代表らとも懇談し、3月の日ロ首脳会談について「(領土交渉の)新たな基礎を築いたのは成果だった」と述べました。
 また、会見では「歯舞・色丹と国後・択捉の両輪を回していけばアイディアも出るだろうと大統領に伝えた」と語り、四島返還を求める政府の姿勢に変わりがないことを強調しました。

4月8日

1970年(昭和45年)
ノビコフソ連副首相が来日

ノビコフソ連副首相が来日。佐藤首相と会談しました。
副首相は北方海域における日本漁船の安全操業問題では、日本案を協議する用意がある、また現在ソ連に抑留中の日本漁船員32人全員をすみやかに釈放するとしたものの、領土問題は解決済み、との態度に終止しました。

4月9日

1991年(平成3年)
外国人記者団が北方領土取材

東京駐在12カ国32人の外国人記者団一行が根室入りし、2日間にわたり元島民や漁業関係者に北方領土問題について取材、また海上からの視察も行いました。
 元島民に対して「四島の旧漁業権を売買する動きがあるというのは本当か」、「経済的利益のために返還を求めているのか」など厳しい質問が続出しました。
 これに対して元島民達は「北方領土問題について世界的なPRになれば」と熱心に対応しました。

4月10日

1970年(昭和45年)
北方領土問題で民間施設団国連へ

北方領土問題の解決を国際世論に訴えるため、北方領土復帰期成同盟松本俊一会長、北海道青年団体協議会広川稔副会長ら民間使節団一行4名が米国に向けて出発しました。
政府や政界の行う交渉とは別に、民間の自由な立場で日本の立場を主張しようと、国連本部をはじめ、関係国代表を訪れ北方領土問題について説明しました。
この使節団は前年の東欧諸国歴訪に次いで2回目の実施になりました。

4月11日

1969年(昭和44年)
日ソ昆布協定交渉モスクワで開かれる

貝殻島周辺のコンブ漁安全操業に関するコンブ協定の更新交渉が開始されました。
交渉は14日に妥結し、従来300隻だったコンブ船は30隻増の330隻が認められました。操業期間は6月1日~9月30日までと、その他についても前年同様の内容となりました。

4月12日

1946年(昭和21年)
ソ連人民委員会、島民残留者に対し国後地方ウプラウレニヤ法令を布告

ソ連人民委員会は「国後地方ウプラウレニヤ法令」を布告、日本の役場を解散して、国後島、色丹島、多楽島、志発島、勇留島、秋勇留島、水晶島を区域とする「ウプラウレニヤ」を国後島古釜布に開設し、行政をソ連法令によることとしました。
以後、島民に対する警戒は厳重となり、脱出も不能、居住者はソ連人民にされるのではないかと心配しました。

ウプラウレニヤとは官庁、役所、管理、運営などを指すロシア語。ここではソ連の法に基づく行政下に置かれたことを意味しています。

4月13日

1941年(昭和16年)
日ソ中立条約締結

日本とソ連が「中立条約」に署名しました(批准は4月25日)。
お互いの国の領土保全及び不可侵を尊重し、また戦争中はお互いが中立の立場になることを約束するものです。
1946年(昭和21年)まで有効の条約でしたが、その前年の1945年8月8日、ソ連は一方的に条約を破棄し、翌日から参戦しました。
ソ連は終戦(8月15日)直後の8月18日から強引に千島列島に上陸し、さらに8月28日から9月5日までに北方四島も占領しました。

4月14日

1799年(寛政11年)
近藤重蔵が初代のエトロフ島掛に

18世紀後半からのロシアのウルップ島等への進出に脅威をおぼえた江戸幕府は近藤重蔵を初代のエトロフ島掛に命じ、この日、蝦夷地への派遣を決定しました。
近藤はすでに前年の寛政10年に択捉島に渡り「大日本恵登呂府」の標柱を建てるなど、北方領土政策に関する幕府への建言者でした。 

4月15日

1977年(昭和52年)
日ソ漁業交渉に伴う中央陳情団上京

寺嶋根室市長ら中央陳情団が日ソ漁業交渉に伴う漁業権益の絶対確保及び200カイリ水域問題との関連などについて、福田首相や外務大臣などに要望しました。
3月から続けられていた漁業交渉がソ連が主張する200カイリ水域問題の取り扱いを巡って中断したため、急遽上京して要請することとなったものです。
翌16日には桜内義雄代議士を代表とする国会代表議員団が訪ソし交渉に臨みましたが、ソ連は29日には日ソ漁業条約の廃棄を通告してきました。

4月16日

1991年(平成3年)
ゴルバチョフ大統領来日

ゴルバチョフ大統領がソ連最高首脳として初めて来日。
海部首相との2日間の首脳会談で、北方四島が平和条約で解決されるべき領土問題の対象であることが確認されました。

1972年(昭和47年)
望郷の家開館

千島歯舞諸島居住者連盟が北方領土問題に関する啓発や、元島民の心のよりどころとするための施設として納沙布岬に『望郷の家』を開館しました。
その後、岬には北方館や四島のかけ橋等も建設され、現在では年間約50万人もが訪れる地となっています。

4月17日

1998年(平成10年)
ビザなし渡航者拡大

政府は北方領土へのビザなし渡航者を制限していた1991年10月の閣議了解を変更し、従来の渡航対象者に加え「学術・文化・社会等の各分野の専門家」も対象とすることを決定しました。

4月18日

1998年(平成10年)
エリツィン大統領来日、川奈で非公式首脳会談開催

エリツィン大統領が来日し、橋本総理は静岡県伊東市川奈で2度目の「ネクタイなし」の会談を行いました。
日ロ平和条約については、「東京宣言第2項に基づき四島の帰属の問題を解決することを内容とし、21世紀に向けての日ロの友好協力に関する原則等を盛り込んだものとなるべき」との考えで一致しました。

4月19日

1963年(昭和38年)
ヴィノグラードフ駐日ソ連大使、安全操業に対し申し入れ

ヴィノグラードフ駐日ソ連大使は、大日本水産会高碕達之助会長に昆布採取の協議に代表を送るよう申し入れました。
長年にわたる日本政府の働きかけに答えたもので、この年6月には協定が成立し、同月19日~9月30日までの期間、300隻の漁船が貝殻島周辺の安全操業水域へ出漁しました。

4月20日

1854年(嘉永7年)
プチャーチン長崎来航

ロ国使節プチャーチンが前年8月に引き続き、軍艦3隻を率いて長崎に来航しました。
国境及び通商に関する覚書を残し退去しましたが10月には函館に入港し、翌年2月には、日本とロシア間の最初の国際条約である「日ロ通好条約」を結ぶなど、プチャーチンは日ロ外交樹立に関するロシア側の第一人者でした。

4月21日

1998年(平成10年)
四島周辺海域操業可能

北方四島周辺海域における日本漁船の安全操業協定が2月に調印されたのを受け、民間協定の「了解覚書」が調印されました。
これにより同海域での10月からの操業が可能となりました。

4月22日

1992年(平成4年)
ビザなし交流始まる、花咲港で歴史的な第一歩

この年から始まった、日本国民と北方四島在住のロシア人とのビザなし交流第1陣19名がロシア客船マリーナ・ツベターエワ号で花咲港に入港しました。
この交流事業は、北方領土問題を解決して、日ロ平和条約が締結されるまでの間、相互理解の増進を図り、領土問題の解決に寄与することを目的として、パスポート・ビザなしで、新しい枠組の下で行なわれることになったものです。

4月23日

1991年(平成3年)
日ソ共同声明の統一解釈を「日ソ首脳会談の概要」として発表

4月16日ソ連最高首脳としてはじめて来日した、ゴルバチョフ大統領と海部総理大臣との間で18日署名された「日ソ共同声明」について、この日外務省は「北方領土については、政府は一貫して、四島一括返還の立場により対ソ交渉を推進」するなどの統一解釈を発表しました。
また、今回発表された共同声明で歯舞群島、色丹島とともに国後島、択捉島を併せた北方四島が、平和条約において解決されるべき領土問題の対象であることを日ソ間の文書において、初めて明確に確認しました。

4月24日

1985年(昭和60年)
参議院で北方領土問題の解決促進に関する決議を行う

4月19日の衆議院に続きこの日、参議院本会議でも「北方領土問題の解決促進に関する決議」が全会一致で採択されました。
北方領土の復帰実現は、日本全国民の長年の悲願である。国民の総意と心情に応えるため、政府は北方領土におけるソ連の軍事的措置の撤回を求め、北方領土の返還を実現して平和条約を締結し、日ソ間の真に安定的な平和友好関係を確立するよう全力を傾注すべきである、等の内容です。

4月25日

1966年(昭和41年)
根室日ソ友好親善協会、初の総会開く

前年に発足した根室日ソ親善友好協会が初の総会を開催しました。
抑留漁船員35名の特赦措置を講ずるよう要請運動を行うなどの事業方針を決定しました。

4月26日

1999年(平成11年)
外務省職員ら「友好の家」建設現地調査

外務省職員や建築専門家ら7人がチャーター船で国後島へ向かいました。
これは、同島の緊急避難所兼宿泊施設「日本人とロシア人の友好の家」設置場所などの調査を行うためです。
友好の家は、同年8月に設置工事が始まり、10月に完成しています。

4月27日

1977年(昭和52年)
北連協が総会、北方領土の早期返還を決議

北方領土返還要求連絡協議会の総会が東京で開催され、「歯舞群島、色丹島、国後島及び択捉島の北方領土は、わが国固有の領土であり、一日も早い返還を求めることは全国民の一致した願望である。一日も早く一括返還され、日ソ間に平和条約が結ばれることを目ざし今後、一層強力かつ広範な北方領土返還を要求する国民運動を展開」する等と決議しました。

4月28日

1952年(昭和27年)
マッカーサー・ライン撤廃

マッカーサー・ラインとは、戦後、連合国軍最高司令官マッカーサー元帥の名のもとに、日本漁船が操業できる海域を規制したラインですが、対日平和条約(サンフランシスコ平和条約1951年9月8日署名、ソ連署名せず)が発効したこの日、根室近海のマッカーサー・ラインも消滅しました。
以後、同ラインは日本の北方海域推定だ捕危険水域にかわりましたが、法的根拠はなく、その後も漁船等のだ捕が続いています。

4月29日

2000年(平成12年)
森総理がプーチン次期大統領と会談

森総理大臣が訪ロし、プーチン大統領(当時、大統領代行)とサンクトペテルブルグで非公式首脳会談を行いました。
会談では日ロ間の戦略的・地政学的提携、幅広い経済的協力、平和条約の締結という3つの課題を同時に進行させ21世紀にむけて新しい両国関係を作るための基礎を形成するよう努力することで一致しました。
その後、9月3日から5日まで日本を公式訪問したプーチン大統領と森総理との首脳会談の結果、「平和条約問題に関する声明」に署名し、「東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」としたクラスノヤルスク合意実現のための努力を継続することなどを確認しました。

4月30日

1946年(昭和21年)
だ捕事件第一号

戦後、道東海域(歯舞、色丹、国後、択捉島の付近海域)でのだ捕第1号は根室の第二暁丸16トンで、歯舞群島多楽島沖でソ連にだ捕されました(昭和21年6月15日帰還)。
以後、平成13年12月31日までのだ捕は1,324隻、9,395人になります(根室海保扱)。
昭和30年~37年までが大変多く、ソ連の警備体制が強化されたことや、講和条約の発効により日本漁船の沖合進出や北方四島周辺海域のタラバガニ、昆布漁が多くなったことによるものと思われています。
特に昭和36年8月23日貝殻島沖合で昆布漁船11隻、カニ漁船2隻の計13隻、乗組員32名(うち高校生2名)の大量だ捕事件は地元根室に大きな衝撃を与えました。

この記事に関するお問い合わせ先

北方四島交流センター

〒087-0037
北海道根室市穂香110番地9

電話番号:0153-23-6711 ファックス:0153-23-6713

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更新日:2018年03月01日