3月

3月

3月1日

1989年(平成元年)
竹下首相がソ連国民にメッセージを送る

竹下首相は、わが国の首相としてはじめてソ連紙のインタビューに応じ、北方領土問題でソ連側の政治決断を求めるメッセージがイズベスチャ紙に掲載されました。
この中で竹下首相は「ソ連側が領土問題を解決して日本との間に平和条約を締結する必要があるとの政治的決定を下し、真剣な話し合いを行うこと」が必要であるとのわが国の姿勢を述べました。

3月2日

1971年(昭和46年)
第15回日ソ漁業委員会サケ・マス交渉開始

この年のサケ・マス・ニシン・底魚の漁獲量、規制措置などを決める「第15回日ソ漁業委員会」が外務省で開始されました。
開会式の席上、トロヤノフスキー駐日ソ連大使は「今度の委員会は、北洋の生物資源の運命を決定する歴史的な会議になるだろう」と述べ、ソ連側の厳しい交渉姿勢を示しました。

3月3日

1982年(昭和57年)
高島益郎新駐ソ連大使が北方領土を視察

高島益郎新駐ソ連大使は赴任を前に来根し、納沙布岬から北方領土を視察しました。
大使は「北方領土を目の前にし、その側で生活する地元住民の切ない心情というものが伝わってくる。ソ連が領土問題は解決済みと主張し始めたのは最近のこと、歴史的に見ても納得できない」と語りました。
駐ソ大使が赴任前に北方領土を視察するのは4人目でした。

3月4日

1977年(昭和52年)
水産庁が日ソ漁業会談に基づいて出漁、操業の中止を要請

水産庁は、モスクワで行われた日ソ漁業会談で合意された「サケ・マス・ニシンの3月いっぱいの操業中止」に基づき関係漁船に出漁、操業の中止を要請しました。
サケ、マスについては、漁場がソ連の200カイリ水域のため影響はありませんでしたが、ニシンは3~4月が漁期のため、大きな影響が出ました。

3月5日

1951年(昭和26年)
北海道議会がマッカーサー元帥に決議文を送付

北海道議会は昭和22年7月の決議に引き続き「歯舞諸島及び千島列島返還懇請」を決議し、決議文を連合国軍総司令部のマッカーサー元帥に送付しました。

3月6日

1997年(平成9年)
エリツィン大統領が年次教書を発表

エリツィン大統領はこの日、年次教書を発表し北方領土の日ロ共同開発を含むあらゆる分野で日本との協力を進める用意があることを表明しました。

3月7日

1995年(平成7年)
根室市議会は「一日も早い返還実現と平和条約締結」を決議

根室市議会は「北方領土返還要求運動が50年の節目を迎えた今、政府はこれまで以上の強力な外交交渉により、日本国民の悲願である北方領土の返還を一日も早く実現して平和条約を締結し、日・ロ間に真の平和友好関係を確立するよう、全力を傾注すべきである」と決議しました。
これを含め、根室市議会は北方領土問題解決を訴えて17回の決議を行っています。

3月8日

1968年(昭和43年)
「北方領土問題青年会議」設立

第1回根室市北方領土返還要求キャラバン隊に参加した16人が、今後返還運動の核になろうと、この日「北方領土問題青年会議」を設立しました。
以来、道内外に向けてのキャラバンへの参加や、昭和46年1月1日の第1回、昭和
48年1月1日の第2回と、納沙布岬において初日の出を期して北方領土返還促進根室青年総決起大会を開催するなど、返還要求運動の中核となって活動しています。

3月9日

1981年(昭和56年)
「北方領土を目で見る運動推進懇談会」開催

納沙布岬から実際に北方領土を見て、北方領土問題を理解してもらう運動を進めるため、総理府や北海道、北方領土問題対策協会等の代表10名が集まり「北方領土を目で見る運動推進懇談会」を東京で開催しました。
今後の運動推進のために効果的で適切な施策をたてるため、真剣な討議が行われました。
旅行代理店に働きかけて、納沙布岬へのツアーを企画してもらうなどの活動を続け、現在では同岬には年間数十万人が訪れるようになっています。

3月10日

1956年(昭和31年)
ヤルタ協定におけるクリル諸島の定義についてアメリカの回答を発表
重光葵外務大臣は、衆議院外務委員会でヤルタ協定に関するアメリカの見解を発表しました。
これは前年10月、「日本政府はヤルタ協定になんら拘束を受けるものではないが」との前提の下に協定参加国であるアメリカ政府に事情照会して得た回答内容を公表したものです。
これによれば、1.ヤルタにおいてはクリル諸島について地理的な定義がなされたことはなく、2.クリル諸島に関するすべての紛争は国際司法裁判所に付記することができる、というのが同国の見解でした。

3月11日

1987年(昭和62年)
島根県に「竹島・北方領土返還要求運動島根県民会議」結成

島根県に「竹島・北方領土返還要求運動島根県民会議」が結成されました。これで、全国47都道府県すべてに北方領土返還運動の組織ができあがりました。
なお、「竹島」というのは島根県隠岐の北西70カイリにある小島で、領有権を主張する韓国との間に領土問題を抱えています。

3月12日

1958年(昭和33年)
根室市議会「領土問題は友好平和裡に解決をはかる」と決議
根室市議会は「政府は日ソ両国の平和条約締結のため速やかに領土に関する審議を開始し、友好平和裡に解決をはかること」また、「日ソ平和条約の締結に至るまで、暫定期間根室近海における漁業の安全操業を図るため即時交渉を進めてその実現を期すること」などを決議しました。

3月13日

1950年(昭和25年)
北海道議会、北方領土返還懇請について政府及び全国知事に訴える

420万人道民とともに連合国各国の深い御理解と御同情を懇請し、歯舞諸島及び千島列島の返還を謹んで懇請する―北海道議会は歯舞諸島及び千島列島の返還懇請決議を行い、衆、参両院議長、対日管理機関、外務省、全国知事に要請を行いました。

3月14日

1969年(昭和44年)
国土地理院の地図に択捉島以南を入れる方針決定

北方領土問題各省連絡会議は、国土地理院が発行する地図には必ず択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島を記載する方針を決定しました。

3月15日

1981年(昭和56年)
伊東外相、ポリャンスキー大使と会談

伊東外相は、外務省でポリャンスキー駐日ソ連大使と北方領土問題について会談しました。
ポリャンスキー大使は伊東外相に対し、極東における信頼措置に関するソ連指導部の立場を伝達。これに対し、外相は「領土問題で話し合いのテーブルに着くのが先である」と主張しました。
この会談はソ連側の求めに応じて行われたものです。

3月16日

1953年(昭和28年)
北緯47度以南のサケ・マス流網漁船に出漁許可

敗戦で日本船の行動が大幅な制限を受けたいわゆるマッカーサー・ラインが撤廃され、この日北緯47度以南のサケ・マス流網漁船の本道分101隻に出漁許可が出ました。
これにより漁場が大幅に拡大し、サケ、マス流網漁は飛躍的に発展しました。
敗戦直後、GHQはすべての日本船の航行を禁止しましたが、その後マッカーサー・ラインを設定し、その範囲内での漁業を許可していたものです。

3月17日

1956年(昭和31年)
「日中・日ソ国交回復全国大会」開催

同年3月15日に札幌市で開催された「日中・日ソ国交回復全道民大会」に続き、この日、東京で「日中・日ソ国交回復全国大会」が開催されました。
ソ連との国交回復はこの年10月、中国とは昭和47年9月に国交を回復しています。

3月18日

1977年(昭和52年)
根室市長ら漁民保護を訴える
日ソ漁業交渉に関連し、根室市の寺嶋市長一行は福田首相らを訪問し、北方海域におけるわが国漁獲の実績確保と沿岸零細漁民の保護を訴えました。

3月19日

1992年(平成4年)
コズィレフ外相来日

ロシア連邦となって初の日ロ外相協議のためコズィレフ外相が来日、渡辺外相と会談して北方領土問題などを話し合いました。
コズィレフ外相は「両国は、『法と正義』に基づき諸問題を解決するべきであるとの共通の意見を有している。問題は北方領土問題の最も合理的な解決を見いだすことにある」と述べました。
なお、この協議では日ロ共同で北方領土関連の資料集を編纂、出版することを決定。共同資料集は平成4年9月に日ロ両国語で出版されました。

3月20日

1951年(昭和26年)
千島及び歯舞諸島返還懇請根室大会開催

従来、個々に進めてきた領土返還運動を1つの組織のもとに結集して「千島及び歯舞諸島復帰懇請同盟」が結成され、この日、根室市で道民大会道東地区根室大会が開催されました。

3月21日

1979年(昭和54年)
ソ連政府が危険水域設定を発表

ソ連政府は「船舶航行警報」で、3月20日から3月30日まで沿海州沖合2ヵ所と択捉島南北各1ヵ所計4ヵ所で、定められた時間帯を射撃訓練のため危険水域として設定すると発表しました。
これに対し2日後、駐ソ日本大使館はソ連外務省に「択捉島は日本固有の領土であり、危険水域中の3水域で日本漁船が操業中である(略)被害があった場合の請求権を留保する」と抗議しています。

3月22日

1984年(昭和59年)
300万人署名簿を国会へ提出

全国規模で署名運動を推進している「北方領土返還要求5千万人署名運動推進会議」は、この1年間に集めた300万人の署名簿を衆参両院に提出し、北方領土の早期返還を訴えました。
なお、2002年12月末の署名数は約7千0百万人に達しました。

3月23日

1962年(昭和37年)
根室市議会「日ソ平和条約の締結促進」を決議
根室市議会は「日ソ両国政府が速やかに平和条約を締結し友好裡に懸案を解決する基本的態度を確立させられることを熱望する」と決議しました。

3月24日

1972年(昭和47年)
北方領土返還実現請願団、中央へ派遣

北方領土返還実現請願団が中央へ派遣されました。
請願団一行は、100万人の北方領土復帰実現署名をトラックに積み込んで国会に運び、北方領土復帰促進の請願を行いました。さらに請願団代表は3月27日には官邸に佐藤総理を訪ね、早期復帰実現を要請しました。

3月25日

2001年(平成13年)
森総理大臣、プーチン大統領と首脳会談を行う

森総理大臣はイルクーツクを訪問しプーチン大統領と首脳会談を行いました。
この会談の結果、1993年の東京宣言に基づき、択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島の帰属に関する問題を解決することにより、平和条約を締結し、両国間の関係を完全に正常化するため今後交渉を促進することを合意するなど、今後の平和条約交渉の新たな基礎を形成することができました。

3月26日

1977年(昭和52年)
北方漁業危機突破根室管内住民大会開催

根室の漁業者、商工業者ら1500人が集まり「北方漁業危機突破根室管内住民大会」が開催されました。
東京で開かれていた日ソ漁業委員会で前日の25日、ソ連側がサケ・マス・ニシンの大幅な規制案を提出。
ニシンの全面禁漁など一方的な提案に対し、祖先が開拓した北方領土周辺海域をはじめ、北洋漁場を失っては根室水産が崩壊するとして、この日の大会となったものです。

3月27日

1959年(昭和34年)
門脇駐ソ大使、ソ連外務省に漁船だ捕は不法と通告

門脇駐ソ大使はソ連外務省に口上書を送り、ソ連の主張する領海12カイリ説は国際法上有効ではなく、ソ連のわが国漁船だ捕措置は不法と通告しました。
この当時、わが国は領海3カイリとしており、また、国連海洋法条約により世界的に領海が
12カイリとされるようになったのは平成6年になってからのことです。

3月28日

1963年(昭和38年)
千島及び歯舞諸島返還懇請同盟が「北方領土復帰期成同盟」と改称

昭和25年に結成された「千島及び歯舞群島返還懇請同盟」は活動の強化拡充のため、北海道市長会、北海道町村会、漁業、農業、林業、商工業等の各種団体のほか、学識経験者、報道関係等の参加支援を得て再編成し、「北方領土復帰期成同盟」と改称しました。
さらに、昭和40年4月28日には外務大臣認可の社団法人となりました。

3月29日

1996年(平成8年)
元島民の手記をまとめた北
方領土50年史発刊
戦後50年の節目を記念して、北方領土50年史『四島を追われて』が根室市から発刊されました。
17,200人余の元島民が高齢化し、他界していく中で、生の声を記録し、次の世代に語り継ぐために企画されたもので、40人の元島民の証言が収録されています。

3月30日

1951年(昭和26年)
千島及び歯舞諸島返還懇請道民大会釧路大会開催

3月28日、多くの北方領土返還運動団体が「千島及び歯舞諸島復帰懇請同盟」に集約されたことを受け、20日の根室大会に引き続き、この日釧路でも道民大会道東地区釧路大会が開催されました。

3月31日

1968年(昭和43年)
北海道議会が「北方領土対策特別委員会」を設置

衆議院に続き、参議院に「沖縄及び北方問題に関する特別委員会」が設置されました。
また、北海道議会にも「北方領土対策特別委員会」が設置されました。

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更新日:2018年03月01日