クナシリ・メナシの戦い



2.江戸時代の蝦夷地(北海道)


○松前藩

江戸時代の北海道は、蝦夷地と呼ばれていました。蝦夷地は松前の殿様に植民 のように支配されていました。当時の蝦夷地は米が獲れなく、本州のように年貢 をとることができませんでした。しかし、松前は蝦夷地の交易による利益で、藩 が成立していました。最初は、松前藩主や家臣が直接蝦夷地でアイヌの人々と交 易していましたが、しだいに商人にまかせるようになりました。交易品には、和 人側からは米・酒・鉄製品などの食糧や生活物資が、アイヌ側からは・毛皮・ワ シの尾羽(矢の羽に使う)などの産物がありました。


○根室と飛騨屋


根室や厚岸、クナシリ島の交易を最初に行った商人は、飛騨国増田郡湯之島村 (岐阜県下呂町)の飛騨屋の武川久兵衛(たけがわきゅうべえ)という人でした 。飛騨屋はもともと材木商でしたが、松前藩に多額のお金を貸し、松前藩はこの お金を返す代わりに、根室などの交易の権利を飛騨屋に与えたのでした。


しかし、根室やクナシリ地方には、強力なアイヌの勢力があって、飛騨屋の交易 は順調に進みませんでした。

岐阜県下呂町にある飛騨屋武川家の墓地


○ロシアとの関係

このころ、ロシア人は高価な黒テンやラッコの毛皮をもとめて、シベリヤから アリューシャン列島・千島列島に進出していました。1778年にはロシア人が クナシリアイヌのツキノエの案内で、根室のノッカマップに交易をもてめて来航 しました。ロシア人は千島列島のアイヌとも交易を行っていて、ツキノエは、ロ シア人商人との結びつきを松前藩や飛騨屋に誇示しました。

飛騨屋にあった日本語とロシア語で書かれた蝦夷地図


○老中田沼意次と蝦夷地

江戸時代の日本は、長崎での中国・朝鮮・オランダ、対馬での中国、琉球での 中国貿易、そして松前での中国・ロシア貿易の他は、外国とは交易していません でした。

当時の江戸幕府は財政的にいきずまっており、蝦夷地での交易の莫大な利益に 目を付けたのが、老中田沼意次でした。幕府は蝦夷地に調査隊を派遣しました。 ただこの調査で、飛騨屋の経営も調査され、帳簿にも記入しないどんぶり勘定で あることがわかり、交易だけでなく、現地でアイヌを使ってかなり強制的に働か せていることも明らかになりました。しかし、途中で田沼が失脚していまい、幕 府は蝦夷地に対して何の政策も行いませんでした。