缶詰レッテル等

缶詰レッテル

明治後期の缶詰レッテルの写真

明治後期のサケ、カニ、エビ、マスの缶詰レッテル。 特にカニ缶詰のレッテルが多い。カニ缶詰業は明治37(1904)年、 当時の高瀬根室支庁長の薦めで和泉庄蔵が国後島で始め、 また同じ国後島でエビ缶詰を作っていた碓氷勝三郎も始めました。これらがカニ缶詰の最初ではといわれています。当時の缶詰の値段は高く主に輸出用だったため、 レッテルには英語が多く使われています。写真最上段の製造元である星野佐紀は明治37年農商務省の「海外実業練習生」に 選ばれアメリカへ行き、また昭和5(1930)年には商工省から海外市場調査員を 委嘱され世界10余国を回りました。根室では明治42(1909)年に五十嵐久三郎と五ツ星缶詰合資会社を設けて、国後島で缶詰事業を行いました。

択捉島蘂取村駒井漁場の鱒水揚処理状況

択捉島蘂取村駒井漁場の鱒水揚処理状況の写真

写真「択捉島蘂取村駒井漁場の鱒水揚処理状況」 昭和5(1930)年7〜8月頃の択捉島北部の蘂取村にあった駒井漁場の様子です。 昭和4年発行の『蘂取村概観』(蘂取村役場発行)には鮭鱒漁業者「函館 駒井彌兵衛」とあり、鮭と鱒の定置網各2ヵ所の権利を持っていました。

択捉水産の印ばんてん

択捉水産の印ばんてんの写真

はんてんとは着物の上にはおる丈の短い衣服のことで、これに襟や背中、腰回りなどに屋号や家紋が入ったものを印ばんてんといいます。 このはんてんは襟に「択捉水産株式会社」、腰回りに「択捉水産会社」と書かれています。択捉水産株式会社は、本社を函館に置いて昭和2(1927)年に創立しました。 択捉島別飛に出張所を設けマスを収穫し、その半分以上を缶詰に加工し、海外にも輸出していました。昭和3年度には従業員100名が缶詰事業に携わっていました。 昭和4年発行の『蘂取村概観』(蘂取村役場発行)には択捉水産株式会社が択捉島蘂取(シベトロ)村に鮭と鱒の定置網の権利を各7ヵ所持っていたとあります。

藤野缶詰所の木箱

藤野缶詰所の木箱の写真

明治11(1878)年7月に開拓使が始めた別海の缶詰工場を、 明治20年2月に根室を中心に漁業などで活躍していた藤野辰次郎に払い下げ、 また商標(スター印)も譲与され缶詰業を操業しました。これが藤野缶詰所です。 箱の側面に焼き印があり、「商標★根室藤野缶(罐)詰所製造」とあります。製造した缶詰を詰めた木箱と考えられます。

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更新日:2018年03月01日