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■松前藩

 江戸時代の北海道は、蝦夷地と呼ばれていました。蝦夷地は松前の殿様に植民 のように支配されていました。当時の蝦夷地は米が獲れなく、本州のように年貢 をとることができませんでした。しかし、松前は蝦夷地の交易による利益で、藩 が成立していました。最初は、松前藩主や家臣が直接蝦夷地でアイヌの人々と交 易していましたが、しだいに商人にまかせるようになりました。交易品には、和 人側からは米・酒・鉄製品などの食糧や生活物資が、アイヌ側からは・毛皮・ワ シの尾羽(矢の羽に使う)などの産物がありました。



■根室と飛騨屋
岐阜県下呂町にある飛騨屋武川家の墓地



 根室や厚岸、クナシリ島の交易を最初に行った商人は、飛騨国増田郡湯之島村 (岐阜県下呂町)の飛騨屋の武川久兵衛(たけがわきゅうべえ)という人でした 。飛騨屋はもともと材木商でしたが、松前藩に多額のお金を貸し、松前藩はこの お金を返す代わりに、根室などの交易の権利を飛騨屋に与えたのでした。

 しかし、根室やクナシリ地方には、強力なアイヌの勢力があって、飛騨屋の交易 は順調に進みませんでした。

岐阜県下呂町にある飛騨屋武川家の墓地


■ロシアとの関係
飛騨屋にあった日本語とロシア語で書かれた蝦夷地図
 このころ、ロシア人は高価な黒テンやラッコの毛皮をもとめて、シベリヤから アリューシャン列島・千島列島に進出していました。1778年にはロシア人が クナシリアイヌのツキノエの案内で、根室のノッカマップに交易をもてめて来航 しました。ロシア人は千島列島のアイヌとも交易を行っていて、ツキノエは、ロ シア人商人との結びつきを松前藩や飛騨屋に誇示しました。
飛騨屋にあった日本語とロシア語で書かれた蝦夷地図


■老中田沼意次と蝦夷地
江戸時代の日本は、長崎での中国・朝鮮・オランダ、対馬での中国、琉球での中国貿易、そして松前での中国・ロシア貿易の他は、外国とは交易していませんでした。

当時の江戸幕府は財政的にいきずまっており、蝦夷地での交易の莫大な利益に目を付けたのが、老中田沼意次でした。幕府は蝦夷地に調査隊を派遣しました。ただこの調査で、飛騨屋の経営も調査され、帳簿にも記入しないどんぶり勘定であることがわかり、交易だけでなく、現地でアイヌを使ってかなり強制的に働かせていることも明らかになりました。しかし、途中で田沼が失脚していまい、幕府は蝦夷地に対して何の政策も行いませんでした。
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