ホーム専門情報イベント情報へくらしの情報へ根室市の情報へお問い合わせはこちらから
現在の位置:ホーム > 根室市の情報 > 歴史について
根室出身の作家 寺島 柾史

一 おやじ(クマ)のこと

 根室出身の作家、寺島柾史(まさし)さんは、『湖畔(こはん)の随想(ずいそう)』という本に中に、「北のおやじ」という題で、クマの話をいろいろ書いています。占守島(しゅむしゅとう)で実際にクマと出会った話もあります。また次のようにも述べています。
 「私は、時折、上野の動物園へ出かける。子供達の供をして行くのでもなければ、鳥や動物の生態(せいたい)を写生に行くのでもなく、じつは、おやじの顔を見にゆくのである。…私は、生まれは北海道なものだから、長いこと東京に住んでいても、荒涼(こうりょう)たる原野に、今もって愛着を感じている。つまり、動物園のおやじに会いに行くのは、その顔をみて、せめて北海道の荒野をしのぼうというのである。北海道では、クマのことを、おやじという。おやじは、地震、雷、火事についで、こわいものの代表としてあげられているが、地震、雷と違ってどこか親しみがある。そういう点で一種の愛称なのだ。」
 寺島柾史さんが書かれたクマのいろいろなお話のうち、「青山義雄さんと北のおやじ」のお話を二つ紹介します。青山義雄さんと寺島柾史さんは、子供の時から大の仲良しでした。青山さんは画家になった方です。青山義雄さんについては最後の方で説明します。
 このお話は寺島柾史さんの原作をやさしく書きなおしました。

■ ニ 青山義雄さんと北のおやじ その一


 青山義雄さんは、若い時に、外国へ絵の勉強に行きたいと、いろいろなアルバイトをしてお金をためました。そのアルバイトの一つに、密漁の監視(かんし)人の仕事があります。
 大正時代のはじめ、今から八十年あまり前のことでした。それは、今の羅臼町の南方の春日町の南を流れている春苅古丹(しゅんかりこたん)川でのことでした。鮭が川で自然の形でふ化できるように、密漁者を防ぐための監視をする仕事につきました。監視小屋は、ふ化の時期だけ、笹を刈って、簡単な小屋を作ります。入り口にはとびらの代わりに、ムシロを下げるというお粗末な小屋でした。
 ある日のことです。青山さんは春苅古丹(しゅんかりこたん)川の川べりをずっと見廻って、監視小屋に戻ってきました。ムシロを下げただけの戸をあけようとすると、小屋の中から何やら聞こえてきます。小屋の中に誰かいるようです。イビキのような変な音です。
「はてな?誰?」ムシロの戸のすきまから、そっと中をのぞきました。青山さんはびっくり!何とおやじさん(クマ)が、ごろ寝をしています。変な音は、おやじさんのイビキでした。
「おちついて、おちついて」と青山さんは深く息を吸って、ムシロ戸のすきまから小屋の中をまたそっとのぞきました。
「ぼくの代わりに留守番かな?」おやじさんは気持ちよさそうにおなかをふくらましたり、へこましたりしてはグースカと高イビキです。まわりをよくみると野菜や魚の食べかけが散らばっています。
「あっ!」土間においてあった青山さんの大切な食料や野菜や魚がありません。おじさんは、おなかいっぱいになって、しあわせいっぱいと寝てしまったのでした。
 青山さんは腹がたってきました。大切な食料を食べられてしまったのです。枯草をいっぱい集めてきました。ムシロ戸をそっと あけて枯草を積み、外から火をつけました。火は、パアーッと燃え上がりました。笹で作った小屋です。笹も乾燥していて、火は入口から広がっていきました。おやじさん(クマ)は、火が大嫌いです。びっくりして小屋の中をあばれまわりました。そしてやっとのことで小屋の一方を突き抜けて、一目散に山の方へ逃げていきました。
 青山さんは、おやじさんに食物を食べられた上、笹小屋を一軒焼いてしまったというお話しでした。
 その日青山さんはどこで寝たのでしょうね。食物はどうしたのでしょう。
 近くに住んでいたのでしょうか。笹小屋をまた作ったのでしょうね。

■ 三 青山義雄さんと北のおやじ そのニ

 青山義雄さんのアルバイトの一つに代用職員があります。このお話は、植別川(羅臼町と標津町の境の川)の北側にある植別川(ウエンベツ)特別教授場という学校でのお話です。現在、羅臼町峰浜町にある植別小学校の前身になる学校です。この学校は明治三十六年(一九〇三)にできました。青山義雄さんが代用教員をしたのは大正八年(一九一九)ごろだと推定されます。現在の羅臼町のことを植別(ウエンベツ)村と言っていた時代でした。生徒は九人だけの時代でした。そのころ、青山義雄さんはバイオリンにも夢中になっていて、友人の寺島柾史さん達は、「絵描きよりも、音楽で身を立てた方がよい」と思っていたほどじょうずでした。学校は、グラウンドもなく、小さな小さなかわいい校舎で、まわりには、ドングイ(おおいたどり)が子供の背たけの二倍くらいにのびて林のようになっていました。
 算術、国語、…勉強のあいまに青山先生は、バイオリンを弾いて聞かせました。東京にいる友人のお兄さんに頼んで、ベートーベンやショパンのレコードを送ってもらいました。蓄音機(ちくおんき)(プレイヤー)を、駅逓(えきてい)を経営している松原さんから借りてきて、生徒にもよく聞かせました。放課後、青山先生は、よくスケッチに出かけました。放課後、学校に残っている生徒は、自由にレコードをかけていいことにしました。それで、小さい学校の生徒達は、音楽の趣味が深くなり、いろんな曲名をおぼえたそうです。
 ある日の午後、算術の勉強のあと、青山先生はせがまれて、みんなにバイオリンを弾いて聞かせていました。バイオリンを弾きながら、ふと外を見ました。校舎の近くにはドングイが繁っています。その中に、バイオリンの曲を聞いている人(?)をみつけました。九人の生徒の他にです。それはお尻をペッタンコと地面につけ、足を投げ出し、両手を前にそろえて、行儀よくおすわりをして音楽を聞いているおやじさん(クマ)でした。
 寺島さんが、青山さんから聞いて書いたお話はここまでです。
 このあとクマさんはどうしたのでしょう。クマさんも気に入ったバイオリンの曲は何だったのでしょう。知りたいですね。

■ 四 青山義雄さんのこと

 青山義雄さんは、青山義實・なをさんの長男として明治二十七年(一八九四)一月十日、横須賀市で生まれました。お父さんは海軍省勤めで、明治三十六年、根室へ転勤し、石炭の管理などをしていました。義雄さんは、九歳で花咲小学校へ転入しました。そして寺島政司(後の作家、寺島柾史)さんと大の仲良しになりました。明治三十九年、根室実 業学校(根室商業高校の前身、現在の根室高等学校)に入学しますが、画家になろうと決心し、中途退学します。病気だったお母さんが亡くなり、青山さんは、東京へ出て絵の勉強を始めました。十六歳の時でした。家庭の事情で大正二年(一九一三)に根室へ戻りましたが、やはり絵を学びたい、こんどは外国で…と旅費を作るために、更にお父さんと弟の面倒をみながらアルバイトをはじめました。玉熊牧場(現在の根室市初田牛)、齊藤牧場(標津町忠類)、根室牧場(根室公園)等で管理人や牧夫、水産の検査、ふ化場や春刈古丹川(羅臼町)の鮭の密漁の監視人、それから代用職員などをして働きました。また、頼まれると肖像画なども描きました。
 大正十年二月、希望がかなって横浜から舟でフランスへ旅立ちました。フランスへは四十八日間もかかって着いたそうです。船中ではフランス語の勉強にはげみました。保証人には小池仁郎代義士がなってくれました。当時外国へ行くには保証人が必要だったのです。青山さんが根室を出発する時の話と思いますが、雪の降る中、雪ダルマのようになった小池氏が見送りに来てくれて「成功するまで帰るな」とせん別をたくさんくれたそうです。青山さんはこの話をのちのちまでよく語られたということです。、
 フランスに着いた青山さんはパリで認められるようになりますが、病気になり、南フランスのカーニュに住みます。ニースでアンリ=マチス(画家)に師事します。青山さんの絵は、明るく美しく豊かな色彩で「色彩の魔術師」などど言われました。戦時中は日本に戻っていましたが終戦後の昭和二十七年(一九五二)、五十八歳でまたフランスへ行きました。九十二歳まで、フランスに住みました。日本でも個展を開いたり、美術展の審査員などもしました。帰国したときは、子供のときから仲よしの寺島柾史さん、大澤常治さんと集っては楽しく話をしていたそうです。
 青山さんは絵を描く時は、いつもおすわりして描いたとか、健康法は逆立ちをすることだったとか、また百歳のとき、またフランスへ行きたいと言ってパスポートや航空券を用意し、成田空港のホテルに一泊し、次の日「やっぱり無理」としぶしぶ家へ帰っていたという話もあるそうです。
 仲よしの友だちより、ずっとずっと長生きして、平成八年(一九九六)十月九日、神奈川県芽ヶ崎市で亡くなりました。百二歳でした。



話をして下さった方<BR>
 寺島順一郎氏(寺島柾史氏長男)札幌市在住
 有路美奈氏(寺島柾史氏次女)浦和市在住
 川田浩子氏(小池仁朗氏孫)多摩市在住
イラストを描いて下さった方
 有路さつき氏(寺島柾史氏孫)浦和市在住

参考文献
『湖畔の随想』  (寺島柾史著、能瀬文洋堂、昭和二十二年)
「色彩の吟遊詩人 青山義雄の一〇一年」  
             (吉村克己著『アサヒグラフ』一九九四・三・二九)
「海霧の色」青山義雄を育てた根室を訪ねて(吉村克己著、一九九九・二)
 もしかしたら、このクマさんは、ときどき学校へきて、窓から中をのぞきながら、いっしょに勉強していたのではないでしょうか。十人目の生徒として、名前を呼ばれることを期待していたのでは…。青山義雄先生にならった生徒さんの話を聞いてみたいですね。多分八十歳代の方々だと思います。

ねむろむかしがたり 9/9 
前にもどる ページの先頭へ



ホーム | サイトマップヘルプご意見・ご要望 

【分野別メニュー】 専門情報 | イベント情報 | くらしの情報 | 根室市の情報

〒087-8711 北海道根室市常盤町2丁目27番地 電話 0153-23-6111(代表)
メール
ホームページについてのお問い合わせは、総務部情報管理課まで

Copyright (c) nemuro city All Right Reserverd.