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 『北海道教育』という雑誌の、昭和十年七月号と八月号に、「根室小学郷土読本 根室町花咲小学校」がのっています。いつ作られたものかは、わかりませんが、当時の根室を知るのに、たいへんよい資料です。長いので二冊にわけて紹介します。
 目次はつぎのとおりです。(  )の中は出典。
   <上> 
一、海ぎしの駅      (赤い灯台)
二、船下し        (児童作品)
三、築港事務所を訪う    (児童作品)
四、帆立貝        (小島かはたれ)
五、季節の歓呼――根室四題――
         (根室千島両国郷土史)
六、水汲日記       (児童作品)
   <下>
七、おまつり        (児童作品)
八、千島の旅        (寺島柾史)
九、地名解   (根室千島両国郷土史)
一〇、中央市場
一一、冬青空      (澤山沙中金)
一二、飛行機      (児童作品)
一三、根室の国――橋本徳寿氏詩集より――
一四、金毘羅神社  (根室千島両国郷土史)
一五、根室の子供の歌(根室児童協会会歌)

☆『北海道教育』は北海道立図書館のものを参考にしました。
☆漢字は常用漢字に、かなづかいは現代かなづかいに改めたところがあります。
☆地名などでまちがいがはっきりしているものは正しくなおしています。

  参考
○赤い灯台…不明。雑誌名のような感じですが…
○児童作品…児童の名前が書いてないのが残念です。昭和十年、もしくはそれ以前に花咲小学校の児童だった人の作品と思われ、大正時代の終わりから昭和の始め頃に生まれた人と思われます。
○小島かはたれ…秋田の人。昭和四年六月に根室を訪れています。店で売っていた『流氷』という根室の文芸誌に感動して同誌に投稿しています。ここにのせてある作品は何という本にのったものかわかりません。
○根室千島両国郷土史(ねむろちしまりょうごくきょうどし)…根室にあった本城寺(ほんじょうじょ)というお寺の住職・本城文雄(ほんじょうぶんのう)がまとめた本です。むかしの根室を知るためには重要なものです。
昭和八年発行。
 なお、「五 季節の歓呼」の作者は、当時花咲小学校にいた大酢栄一(おおすえいいち)先生です。『根室千島両国郷土史』にのっている作品ですが、『北海道教育』にのったものとは文章に少し異なる部分があります。




■ 一 海ぎしの駅

とけのこりの雪
丸太にひっついてる。
いぼのない私のごむぐつ
つるっとすべってあぶないよ。
いきおいよく吐かれた
機関車(きかんしゃ)の煙のかげ、
凍(こお)った線路ぎわの土に
黒くたいらにうつって動いたよ。
機関車からはなされた貨車
私の前でゆるく止まった  

 (赤い灯台)



■ ニ 船下し

「バッターン」「バッタン」舟の下にかうごろの地面にころがり落ちる音だ。
「オーイ、枕木をこの下に入れろ」
「ヨイショ、コラショ」
二、三人の若い衆が景気(けいき)のよいねじり鉢巻(はちまき)の顔を真っ赤にりきませて、たっぷりふくれた船腹の下に枕木を運んでくる。
 と、一人が、
「アッ、あぶない」
と言って、舟の左側の方ににぶら下がった。舟はもう少しで、てんぷくするところ。
「おお、あぶない、あぶない」
と、舟のひき綱を馬に巻かせている人が、おどけた調子で、こっちへ向かってどなる。
 馬も勢いよく首を上下させながら、ひき綱を巻いている。舟はずんずん海の岸へ近づいて行く。
「オーイ」
 舟のそばの人が馬の方へ向かって手を上げると、馬をまわすのを止めた。
「ヨイコラショ……」
とまたごろを運んでくる。
 いよいよ舟は海のふちまで来た。はなすと落ちるので今度は総がかりで綱を張り陸から引っ張っている。みんな真っ赤になって力のかぎり支えている。
 「綱のばせー」
 と声がかかると、ゆるやかに、しだいに綱は伸ばされる。
「バッターン」
 舟は波を蹴立(けた)てて海の中へおどり込んだ。
 赤・青・黄・紫、船の上の旗は明るい朝風にいっぱいひらめいた。   (児童作品)



■ 三  築港事務所を訪(おとな)う

 「北海道庁根室築港事務所」(ほっかいどうちょうねむろちっこうじむしょ)と筆太(ふでぶと)に書いた表札が人待(ひとま)ち顔にかかっている。
 やさしそうな事務所の人が玄関に出て来て、
 「さあどうぞ」
 と言いながら、先になって、室長室、と札のかかっている部屋へ案内して下さった。
 所長さんは、左側の机の上の本を片づけながら、
「ここで書きたまえ」
と静かにおっしゃった。そして、
「今日は、僕が先生になってあげよう」
と言って笑われた。それから僕たちは次のようなことをたずねた。
「この事務所はいつごろ建ったのですか」
「大正九年四月」
「ここで、どんな仕事をなさるのですか」
「波止場(はとば)を築いたり、海底を掘ったりして、根室港をよくしているのです」
「事務所につとめている人は何人おいでになりますか」
「さあ、現場に出ている人も全部合して約百人くらいでしょう」
 百人ときいて僕たちはびっくりしました。
 ふと、ガラスの窓から海を見ると、しゅんせつ船の根室号が黒煙を吐いて、せっせと活動している。
 「根室号は、一度にどの位砂を掘りますか」
 「三・三平方メートル」
 「根室号のほかに船は何そう活動していますか」
 「一三そう」
 ほう、と、また僕たちはびっくりした。
 夕方になって帰ろうとすると、所長さんも立ち上がって、
 「今度は先生と一緒においで」
 と言われた。僕たち四人は丁寧にお礼をして玄関を出た。       (児童作品)


■ 四 帆立貝


 帆立貝の柱、無論なまのは粕漬(かすづけ)や酢のものや、うす塩汁や煮付(につけ)にしてもおいしいが、新鮮なものは塩焼に限る。稚内から宗谷本線をとおってオホツク海に沿って南下すると根室までの一帯が帆立貝の名産地になっているが、七月一日まで禁漁だという。しかし、口果報(くちがほう)にも、まぐれて何かの網にひっかかったやつにありつくことが出来た。頗(すこぶ)るうまかった。禁断(きんだん)というハンデキャップをつけてではない。根崎(ねさき)でも大鰐(おおわに)でも塩焼にしてもらったが、根室のものには到底及びもつかなかった。
 根室は今、おひょうの盛りと見えて機船が着くと盛んにおひょうを下していた。
街を歩いたらあっちこっちで畳一枚ぐらいの大きさのを裂いている。目方(めかた)は一四、五貫もあるという。千島の海の深刻さを思わせる。あのおひょうの打てば鳴るような威勢のいい肉体を愛する。こいつの目の下がうまいんだそうで魚屋君は肉をすき上げると、最後の出刃先(でばさき)で目の下の肉をぐるりとえぐり取るのである。私はゆっくりした気持ちであちこちでおひょうを裂くのを立見して日の暮れるのも気づかぬ程であった。
 北海道は一体半搗米(はんつきまい)の感じである。建物からして安定した気分をもたぬ。帯広でも野付牛(のつけうし)でも釧路でも目ぬきの場所は建物なども立派だけれども、一、二本小路(こうじ)を隔(へだ)てると皆バラックだ。
明日でも家をたためるようにできている。
 こんなところに芸術の生まれる訳はない。しかし根室だけは私があこがれて遥々(はるばる)訪ねたあたいが確かにあった。根室には近代発展都市の軽薄(けいはく)さがない。根室の町は深く土に根をおろして息づいている。根室は現在人口一万、これ以上は発展の見込みがないと悲観(ひかん)めいたことを言っている土地の人もあったが、私はそれとは反対な考えをもって見てきた。根室には北海道や樺太(からふと)の他の都市がもたぬさびがある。
 行って見るわけもないがあの北欧(ほくおう)のオスローといったおっとりした気持ちである。根室には四、五日ぶらぶらとくらしたかった。頭にこびりついているもののすべてをあのオホツクの海に投げ棄(す)てて、ぼんやりと千島の影を眺(なが)めてくらしたかった。

 (小島かはたれ)



■ 五 季節の歓呼(かんこ)


  春
 旅人の画家のS君と私とは、いつの間にか二十間道路(にじっけんどうろ)の花咲小学校の校舎が見えるところまできていた。
 まだ海霧のくるのには間のある四月のはじめだった。
 S君は、明るい、うすはなだの空の彼方にほっそりと立っているアンテナポールを目指し、落石無電受信局(おちいしむでんじゅしんきょく)のこと、リンデー・グロナウ機の飛来の際の模様(もよう)などをいろいろ私に問いかけるのだった。
 それから私たちは金毘羅神社へつづく根室別(ねむろべつ)の道路へ出た。舟入澗(ふまいりま)には船下しに間のない、いくつもの、赤い黒いそして白い数多の発動機船の中で、青いナッパ服のいかにも健康そうな若者が立ち働いていた。
 流氷が去った海は、のびやかに黒いビロードのようなねばねばした波のうねりをいくつもいくつも築堤(ちくてい)の石垣にひろげていた。
 私もS君もその光明丹の塗色のぷんぷんする発動機船の一つに寄りそって無言で、はるかのチャチャヌプリを眺めて立ちつくした。

  夏
 ああ、光と影と色彩の氾濫(はんらん)!
 海はアルミニュームのようににぶく光り、フレップや鈴蘭(すずらん)が咲く岬々の小高い丘がやさしい陰をひきのばし、そして北千島行きの碇泊船(えいはくせん)が赤と黒の船体を大きくゆすぶって昼餉(ひるげ)の鐘を鳴らすのです。
 ららん、らん、らん、――
 そして、海霧のはれ間にちらりちらりとあらわれては消える岬につづいた牧場の丘!
 そこには海底植物の色彩をした牧草が芽をふこうとしています。
 幾群かの放牧の牛が、その色彩をぬりつぶすように草原のなだれを谷へ降りて行きます。
 丘を一つへだてた向こうの谷のなだれから鈴蘭狩(すずらんが)りの子供たちの歓声が海霧の晴れていく蒼空に炸裂(さくれつ)します。

  秋
 K君――
 来るのなら今だよ。
 海霧はもうすっかりはれたよ。
 海霧が去ってしまうといよいよ僕らの天地だ。
 これからの根室の自然は十二月の半ばまで、かっきりと明瞭(めいりょう)な肢体(したい)を伸ばして、あけっぱなしのとめどない歓喜を蒼穹(そうきゅう)によびかけるのだ――。
 海はみどりの明るさを湛(たた)えて新鮮な日光を満喫した葉緑素(ようりょくそ)のようにピチピチ踊(おど)っているんだ。
 そして君の大好きな例の高山植物も、海と海にはさまれた半島の平原に春を錯覚(さっかく)した雑草の花と一緒に咲いているし……昨日は小学校の生徒、今日は商業学校の野外教練の生徒たちが繰り出す――といった具合に毎日の秋晴れだ。
 「もう、うすら寒い秋風が高原のキビの葉に訪れた」等と情けない便りをよこす君よ、是非(ぜひ)この異国情緒(いこくじょうちょ)めいたものを鑑賞(かんしょう)しに出かけて来たまえ。

  冬
 上海(しゃんはい)行きの直航汽船(ちょっこうせんき)が終航のアンカを上げるころ、花咲蟹(はなさきがに)の赤い甲羅(こうら)が店屋にならび、温いなつかしい去年の味覚を思い出させる頃、根室港のほんとうの冬が訪れます。
 二月――月ヶ丘競馬場が快適な雪のスロープを画き出す頃です。
 ああ――海は一枚のまっしろな木皿になって しまいました。
 そして、はるばるつづいているではありませんか――千島山脈のそそり立つ彼方のレザーで截(き)り断(た)ったような地平線まで――。
 氷を渡ると弁天島へ歩いていく人かげが見えます。小さい人間の姿です。
 とうとう、氷がきてしまいました。冬がきてしまいました。
 しかし、ひろい氷海の下を脈々と流れているオホーツクの海潮は堅(かた)い氷の下から歌っていることでしょう。
 「おお、風よ吹け、冬来たりなば春遠からじ」
と。                        

(根室千島両国郷土史)


■ 六 水汲日記


七月一日 土曜日 雨
 朝起きると雨が降っている。、
 母さんに「今日、水汲みするの」ときくと母さんが「今日は雨が降っているからいいよ、そのかわり明日は、三かたくらい汲まなければならないよ」とおっしゃった。
 私は、ぬれなくてすむので、よかったと思った。
七月二日 日曜日 晴
 今日は天気がよいので、たくさん水を汲んであげようと思った。
 私は、二かたまではちゃんと汲んできたが、三かた目に汲んで坂の所にくると、雨上がりで道がぬるぬるしている。うっかりしているうちにとうとうころんでしまった。幸いに洋服はよごれなかったけれど、靴下はびしょぬれ、おまけにバケツのつるがとれてしまった。私は今日は失敗したから、明日はしっかり汲もうと思った。
七月三日 月曜日 晴
 学校から帰って見ると誰もいない。私は時間割をしらべてから水を汲んだ。今日はしくじりはなんにもなかったし、一人で水を汲んであげたりしたので母さんが帰って来てから大へんほめられた。
七月四日 火曜日 晴
 今日は暑くてやりきれない。
 こんな暑い日でも水を汲まなければならない。水汲みは私の役目だからどうしても汲まなければならない。母さんが「今汲むと暑いから、夕方汲みなさい」とおっしゃったが私は夕方より今汲んでしまおうと思って井戸へ行った。家へかついでくるまでに汗が、だらだら流れる。
 私は水を汲みながら、こんな日散水車(さんすいしゃ)を引いている人のあつさは、どうんなだろうと同情した。
七月五日 水曜日 晴
 朝起きると、すぐ、朝のよい空気を吸いながら水道の水を汲みに行った。水道で五、六人も先の人が汲むのを待っていた。待っていた人たちも汲んで行ったので私は一人でゆっくり汲んで帰った。
 朝の水汲みは大好きだ。
七月七日 金曜日 晴
 夕方の水汲み。
 私は、つるべをガラガラと落として、すこし休んで汲川さんの庭の花を見る。
 汲川さんの庭の花はいろいろ珍しいのがたくさんあって大へんきれいだ。
 私は水汲みに来るだびに、この花を見るのがたのしみだ。      

(児童作品)

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