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昭和六年(1931年)八月十九日 千島列島上空を飛ぶシリウス号に根室落石無線局から第一信の無線が送られた・・・・・
『歓迎す・・・・日本・・・・にリンドバーグ・・・・大佐を・・・・歓迎す・・・・』
 ニューヨーク〜パリ間の大西洋横断無着陸飛行に成功し、 一躍空の英雄となったリンドバーグがアン夫人とともに愛機ロッキード・シリウス号で、 北太平洋の横断飛行に挑戦した。
 この飛行コースの中継点である根室に来航し、 今年で70周年を迎えた。


空の大使を迎え熱狂の群衆
 昭和六年 (1931年) 八月二十四日の朝、 根室港埠頭の岸壁に世紀の瞬間を一目見ようと集まった群衆は、 岸壁はいうに及ばず道路、 屋根、 港の周囲に集まり、 今や遅しと水平線上の国後島方向を睨にらんで身じろぎもしない。
 午前八時十分ごろ国後島の方向に黒い点がみえ、 それがあっというまに鳥の影の大きさになり、 すぐ飛行機とわかるようになった。
 青空の広がる上空には、 朝日新聞の二機と北海タイムス社の飛行機がシリウス号をみちびいていた。
 大勢の群衆がかたずをのんで見守る中シリウス号は、 弁天島の北のはずれとベニケイムイ岬の間から港へ入り、 二十間坂 (現花咲小学校の前の通り) 下の海上にさっと水煙をあげて鮮やかに着水した。 北太平洋横断の偉業を達成した瞬間だ。
 米国国歌の吹奏に迎えられ根室港埠頭の岸壁に到着したリンドバーグ夫妻は、 熱狂した群衆に取り囲まれやっとの思いで、 迎えの車に乗り込んだ。 その後、 宿泊先である二美喜旅館に入り長旅の疲れをいやすことなく衣服を着替え、 早々と根室町の歓迎式に臨んだ。
 歓迎式会場となった花咲小学校グランドでは、 町内各学校の児童生徒をはじめ数千人の町民によって埋めつくされていた。
 夫妻到着後、 花火の合図で歓迎式が開かれ、 安藤根室町長から偉業を讃たたえる祝辞や花束の贈呈、 日米国歌吹奏など出席したリンドバーグ夫妻は心なしか感激しているようす。
 挨拶に立ったリンドバーグは、 「本日、 根室に着き日本の北海道に無事到着したことは嬉しくてなりません。 私どもはアメリカを離れて既に一カ月にもなりますが、 数十年の後には日米双方からこの太平洋を数時間にして飛翔する時代が必ずくることを期待しています。 また数日前より落石無線局から天候状況を教えていただき本日無事到着できました。 さらに昨晩は国後において安らかな一夜を送ることができました。 紗那でも心温まる歓迎を受け大変感激しました。 本日は町長様はじめ皆様の厚い歓迎を受け感激に堪えぬものです。 私どもはこれから日本の素晴らしいところを見ていきたいと思っています」 と感激の辞を述べた。
 歓迎式終了後、 場所を移して根室公會堂において歓迎会、 夕刻には歓迎晩餐会などが開かれた。


落石無線局大活躍
 リンドバーグの飛行は世界中が注目しており、 大勢の外国や日本の新聞記者が根室に集まっていた。
 シリウス号と無線連絡をとっていた落石無線局には、 連日新聞記者がつめかけていた。 飛行中のアン夫人との交信が終わると無線局からの 「発表」 をまっていた記者たちが局長室の前にどっとおしよせ、 急いで電報文を書き、 他社よりも早く本社へ送ろうと電報受付へ殺到していた。
 そのため根室に十台くらいしかない自動車を各新聞社が先を争って車を借り、 根室から落石無線局までの道路は新聞社の専用道路となったほどである。
 根室に到着した翌日、 リンドバーグ夫妻は気象状況の連絡でお世話になった落石無線局に挨拶に出向いた。
 無線局では局長ほか13名の局員が出迎えていた。 車から降りたリンドバーグ夫妻は局員一人ひとりに握手を求めるなど終始なごやかな表情を見せていた。
 アン夫人は局長と濃霧以後 (八月二十二日濃いガスで根室へ来られなかった) の連絡について地図を見ながら記憶をたどり、 更に明後日の根室〜霞ケ浦 (茨城県) 間の飛行コースの打ち合わせをした。
 通信士として夫の飛行を助けたアン夫人は 「根室を出発して落石無線局との連絡がとれなかったらどうしたらよいのか。 銚子に無線局があるのは知っているが、 その前に適当な連絡をとるところはないでしょうか」 と気象情報の連絡などを心配していたが、 万全の体制で臨むことを約束した無線局の対応に感謝。
 長時間にわたる打ち合わせの後お礼の言葉を述べて根室へもどった夫妻は、 宿泊している旅館に安藤町長夫妻を招いて感謝の晩餐会を開いた。
 八月二十六日午前六時、 リンドバーグ夫妻は旅館を後にし、 二日間繋留していた愛機シリウス号のもとへ向かった。
 大勢の群衆が見守る中、 町長夫人から贈られた白のあやめの花を抱いてシリウス号に乗り込みエンジンを始動。 午前八時二十分岸壁に集まった群衆の万歳の歓呼とともに水煙を立てて飛び立った。
 悠々と飛行するシリウス号は港上空を旋回し、 見送る根室町民に挨拶した。
 リンドバーグ夫妻は一路、 茨城県の霞ケ浦を目指した。 その後大阪、 福岡を経て中国の南京から漢口へ行き、 長い旅は終わった。
片平落石無線局長と打合わせする
リンドバーグ夫妻

空の大使リンドバーグ夫妻
 リンドバーグは1902年ミシガン州デトロイト市に生まれる。 父はスウェーデン系移民の下院議員。 20歳の時ウイスコシン大学機械工学科を中退してネブラスカ州リンカーンの飛行学科に入学。 卒業後シカゴ〜セントルイス間の郵便飛行士となった。
 1927年、 リンドバーグが25歳のとき 「スプリット・オブ・セントルイス」 号でニューヨクとパリ間の大西洋横断無着陸飛行を33時間29分かけて見事に成功させ、 世界的に有名になった。
「翼よあれがパリの灯だ」 はこの偉業を映画化したものだ。
 一躍空の英雄になったリンドバーグは、 パンアメリカン航空の技術顧問に迎えられ飛行航路の開拓に当たった。 根室港への着水で根室の歴史にも刻まれる北太平洋横断飛行は、 この航路調査の一つとして行われた。
 アン夫人は1906年ニュージャジー州エングルウッド生まれ。父は弁護士で、 銀行家、 政治家で知られ大財閥JPモルガン商会に勤務していた。 母エリザベスは、詩人で教育家として知られる。1924年スミス大学に入学 (後に、 母が学長に)。 1927年父がメキシコ大使に、 この年のクリスマス休暇にリンドバーグと出会い恋愛後、 結婚、 出産、 調査飛行等の半生を過ごす。北太平洋横断飛行では副操縦士、航海士、 通信士の役割を果たし夫リンドバーグの飛行を助けた。
 また、 作家として北太平洋航路航空飛行の体験 『北方への旅』 や 『海からの贈りもの』 など多くの著作を出版した。


 北海道無線発祥の地 (落石岬) といわれている落石無線電信局は明治41年に開局。 大正12年には送信所を新設移転 (上写真)。 リンドバーグ北太平洋横断飛行援助など世界的な航空通信に歴史をのこし、 昭和41年札幌中央電報局に統合されるまで、 太平洋沿岸における海上通信発展の礎を築く活躍をした。


胸が高鳴りました
 当時、 小学生だったと思うのですが、 リンドバーグ夫妻が根室へ来航するという話を両親やラジオなどで聞いていましたので、 とても楽しみにしていた記憶があります。
 飛行機が着水する当日は朝早く出かけたんです。 港には根室町民全部が集まったような人だかりでしたね。
 夫妻の乗ってきた飛行機は胴体が黒で翼が赤でした。
 飛行機がどのように着水するかとても興味がありました。 着水は見事でした、 弁天島先端の海上に水煙をあげて鮮やかに着水したんですよ。
 埠頭近くまで来たとき、 操縦席にいた奥さんが印象的でした。ご主人は背が高く、 きりっとしていましたね。
 二人が上陸したときは、 どこにいるか見えないくらい人だかりで、 みんな興奮していました。
 花咲小学校グランドで歓迎式が行われると聞いていたので見に行ったんです。 そこも人、人でいっぱいでした。
 安藤町長が挨拶した後、 リンドバーグさんが英語で挨拶しました。 特に記憶に残っているのが 『オールねむろ』 と二回言ったことでした。 通訳する人はいたんですが、 話の内容は記憶にないです。
 翌日、 夫妻が宿泊している二美喜旅館に行ったんですが、 二階の窓から手を振ってニッコリ笑った奥さんが印象的だったですね。
 リンドバーグ夫妻の来航に胸が高鳴ったことは、 昨日のことのように思います。
森田 岩男さん(宝町在住)
シリウス号が着水した現在の根室港


心のふれあい
リンドバーグ家からメッセージ
ロッキード・シリウス号
 アン・リンドバーグ (リンドバーグ夫人) さんが今年2月7日、 94歳で米国バーモント州の自宅で亡くなられました。
 根室市は2月9日、 米国の 「アン・メロウ・リンドバーグ財団」 ミネソタ州) にあてて 「根室市民は、 世界の航空史に大きな功績を残されたリンドバーグ夫妻の足跡の地としての誇りと、 歴史的な史実として大切にしていきたいと思います。 これからも、 アン夫人リンドバーグ大佐とお二人で永い飛行を続けられますことを心から お祈り申し上げます」 という内容・の弔電を送りました。
 これに対し4月23日、 二女の作家リーブさんから 「私の母アンのことを深く心配していただいた根室のすべての市民に心から私のお礼を伝えて下さい」 と母を思った根室市民に感謝するお礼のカードが届きました。
 また、 リンドバーグ財団からは 「アン・リンドバーグの死に対して、 リンドバーグ家、 財団への心からの哀悼の言葉をいただき、 大変感謝しております。 彼女はたくさんの感動に触れながら生きた、すばらしい女性でした。 リンドバーグ夫妻の生涯の夢である、 科学技術の向上や自然環境の保護を受け継いできた私たちリンドバーグ財団の活動に感銘を受けてくれることを願っております」 と感謝のメッシージが送られてきました。
 70年の時を越え根室市とリンドバーグ家との心のふれあい、 つながりはいっそう強くなりました。

 リンドバーグ夫妻は、北大西洋航空路を切り開くための飛行に、何ヶ月もの準備をかさねたそうです。
 特に愛機シリウス号には、三千キロの距離を飛ぶのに必要なガソリンタンクを装備し、そのうえ港や湾や湖水に着水できるようにフロートなどを取りつけました。
 そのほか、当時では最新の各種飛行装置、無線機、ガソリン補充設備、いかりなどを用意しました。
 また、万一の場合を考えて、ゴム製のボートやパラシュート、キャンプ用具や数日間過ごせる食料も準備したのです。
 この飛行機は1970年の大坂万博、アメリカ館に展示されたことがあります。
 現在ではワシントン特別区にある「ワシントン航空宇宙博物館」に展示されています。

「ロッキードシリウス号」
翼  幅 13.07メートル
全  長  8.38メートル
航続距離 1,700メートル
乗  員     2人

リンドバーグ夫妻の次女リーブさんから送られてきたカード


『リンドバーグの本』 ・『リンドバーグ』 (世界偉人伝全集)              白木茂訳・編
・『リンドバーグ』 チャールズとアンの物語 (上・下) ジョイス・ミルトン著
・『翼よ、 あれがパリの灯だ』                   佐藤亮一訳
・『ロッキード戦闘機』 第2次世界対戦ブックス66       鈴木五郎著
・『大空の開拓者たち』                       鈴木五郎著
・『北方への旅』 (リンドバーグ夫人の作品)      アン・リンドバーグ著
 ※世界名作選 日本小国民文庫               山本有三編
  『日本紀行』 としての抄訳があります。
・『海からの贈りもの』                  アン・リンドバーグ著
・『ユニコーンを私に』                  アン・リンドバーグ著
・『輝く時、 失意の時』                  アン・リンドバーグ著
・『日本ヒコーキ物語』                       平木国夫著
・『おひさまってなあに?』 (リンドバーグ次女の作品) リーブ・リンドバーグ著

《ビデオテープ》
・『翼よ!あれが巴里の灯だ』 ビリー・ワイルダー監督
根室にゆかり深い 『リンドバーグ』 に関する図書は、 ここに紹介するほか根室市図書館に多数あります。

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