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根室港に無事着水したシリウス号
根室港に無事着水したシリウス号
 昭和6年8月24日(今から64年前)の朝、快晴の根室港は、人、人、屋根の上までも人がいっぱいでした。前日の夕方に着くはずだったリンドバーグ夫妻の乗った飛行機シリウス号を迎える人たちです。

 前日の濃霧のため爆音は聞こえたのですが、降りることができずに飛行機は国後島の東沸湖のアンノロ川の川口近くに着水し、近くの外崎さんの草小屋に泊まり、翌朝、かけつけた清水虎亀與さん差入れのビールで乾杯して出発しました。泊まるとき、シリウス号を岸の柳につなぎました。その木は、それから「リンドバーグの柳」とよばれたそうです。

 8月24日、朝八時十分ごろ国後島の方向に黒い点がみえそれがあっというまに鳥の影の大きさになり、すぐ飛行機とわかるようになりなした。朝日新聞の2機と北海タイムスの一機の飛行機がみちびいて、シリウス号は弁天島の北のはずれとベニケムイ岬の間の港の入り口から港へ入り、二十間坂(花咲小学校の前の通り)の下に水煙をあげて着水しました。

 リンドバーグはアメリカの人で、1902年に生れ、二十歳のときウィスコンシン大学を中退してネプラスカ州飛行機学校に入り、卒業後はシカゴとセントルイス間の郵便飛行士になりました。

 1926年、ニューヨークとパリ間の大西洋横断無着陸飛行を33時間29分かかって成功し世界的に有名になりなした。このときのようすは「翼よあれがパリの灯だ」という映画にもなりなした。

 1931年、航空路調査のため、リンドバーグは結婚まもないアン夫人と北太平洋をよこぎって日本をおとずれます。千島を飛んでまず根室へきたのです。

歓迎式であいさつするリンドバーグ リンドバーグ夫妻が泊まった二美喜旅館と、夫妻を人目見ようとおしかけた人々
花咲小学校で歓迎式の
あいさつをするリンドバーグ
リンドバーグ夫妻が泊まった二美喜旅館と、
 夫妻を人目見ようとおしかけた人々(当時の絵葉書より)

 飛行中はアン夫人が落石無線局と交信しました。リンドバーグの飛行は世界中が注目していたので、外国や日本の各新聞社の記者が、おおぜい根室に集まりました。まだ電話やファクスはなく、もっとも早い連絡は電報でした。そのころの根室には自動車が十台ぐらいしかなく、各新聞社が争って車を借り、根室から落石無線局までの道路は新聞社専用道路になっていたそうです。

 落石無線局ではアン夫人との交信がおわると「発表」をまっていた記者たちが局長室の前にどっとおしよせ、急いで電報文を書き、他社よりも早く本社へ送ろうと、電報受付へ殺到したといいます。

大歓迎式
公会堂(現在のときわ台公園)で開かれたリンドバーグ夫妻歓迎の宴の様子

 リンドバーグ夫妻の大歓迎式は花咲小学校を会場にして行われ、たくさんの人々があつまりました。夫妻はそれから落石無線局を訪問したりしました。今の北海道拓殖銀行根室支店の向い(浜がわ)にあった二美喜旅館に泊り、根室の朝のようすをアン夫人は次のように記しています。

 「旅館で印象的だったのは、朝、多くの人の行き交う下駄の音で目がさめたことでした。小石を敷きつめた道を、みんな木の下駄をからからひきずって行きます。すると手をたたくような、なんともいえない音楽的な音がするのです」

 8月26日午前8時20分」、リンドバーグ夫妻は茨城県の霞ケ浦をめざして飛び立ちました。そして東京、大阪、福岡をへて中国の南京から漢口へ行き、長い旅は終りました。


参考文献

子どもむけの本
「翼よあれがパリの灯だ」 旺文社マンガシリーズ
「リンドバーグ」世界偉人自伝全集 小峰書店
おとなむけの参考資料
「北方への旅」 アン・リンドバーグ薯 深沢正策訳
改造社 昭和10年
「金の時 鉛の時」 アン・モロー・リンドバーグ薯 佐藤亮一訳
産学社 昭和49年
「落石無線電報局沿革史」 落石無線電報局根室無線中継所 昭和41年
「北海道新聞」昭和60年7月14日
「朝日新聞」 昭和6年8月25日
「柳田鉄三アルバム」
「北方領土 國破而無山河 東沸物語」 清水虎亀與 昭和53年

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